北大路魯山人
北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)は、明治16年(1883年)に京都で生まれ、昭和34年(1959年)に亡くなりました。
あまり恵まれた幼年期を送ってはいないようです。
明治22年(1889年)、 6歳のときに木版師である福田武造の養子になったことが、以後の芸術的な才能の開花に影響していると思われます。
明治37年(1904年)、21歳のときに、日本美術協会主催の大日本書道展に隷書「千字文」を出品して一等賞を獲得しました。
やがて、明治40年(1907年)、福田鴨亭の号で書道家として独立しました。
長浜や山代で食客として暮らした後、大正8年(1919年)、中村竹四郎と東京・京橋に、大雅堂藝術店を開きました。
そして、翌年には大雅堂美術店と改めて、客に手料理を出すようになりました。
大正10年(1921年)には、大雅堂美術店の2階で、美食倶楽部を始めました。
大正11年(1922年)頃から、北大路魯山人の号を使い始めます。
大正14年(1925年)に、東京の麹町に星岡茶寮を開いて、顧問兼料理長として料理と食器に関して監修しました。
また、大正15年(1926年)に鎌倉に星岡窯を築窯しました。
美に全身全霊を捧げた人生でした。
魯山人はその優れた美意識で、陶磁器、書など、様々な作品を生み出しました。
これらの作品は、美術商で売られていたり、美術館で展示されたりしていますので、是非とも見たいものです。