寒雲棗
寒雲亭の前にあった千宗旦の愛した寒雲桜の枯れ木で、裏千家11代家元玄々斎が7代宗哲に造らせた棗が、玄々斎好木地寒雲棗です。
寒雲桜は、裏千家7代家元竺叟の頃から枯れ始めたようで、それを切って竺叟が3代宗哲に造らせた棗が、竺叟好溜塗寒雲棗です。
玄々斎好木地寒雲棗は、蓋の甲に凹みのある河太郎型の大棗で、胴にも黒い横筋が入っています。
外側は摺漆で、内側は黒漆となっており、蓋裏には玄々斎の朱漆の名判があります。
箱の蓋表には、「寒雲暁散千峰雪 暖雨晴一経花」と書かれています。
竺叟好溜塗寒雲棗は、外側が溜め塗りの大棗で、経年変化で透けて今では桜の木目が見えています。
内側は黒漆で、蓋裏には竺叟が「寒雲」と朱漆で書いています。
そして、底には「哲」の陰刻銘があります。
30個造られたようですが、その1つが現在、石川県立美術館の所蔵となっています。
胴径は7.7 cmで、高さは7 cmとなっています。
それから、寒雲桜からは、その皮を使った玄々斎好桜皮曲炭斗があります。
宗旦の愛した桜は、後世の人達から変わらずに愛され続け、枯れたことが惜しまれたことが分かります。
その桜材を用いた寒雲棗を見て、往時を偲ぶのもよいかもしれません。