茶の湯における走光性の考察

「まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくり返して、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました。」

とは、宮沢賢治の著した『銀河鉄道の夜』の一場面です。

 

100万ドルの夜景というもののように、えてして、人は輝きに惹かれるようです。

 

ルシフェラーゼ(luciferase)は、生物発光において、発光物質(ルシフェリン)が光を放つ化学反応を触媒する作用を持つ酵素の総称になります。

また、緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見した下村脩氏は2008年にノーベル化学賞を受賞しますが、オワンクラゲ (Aequorea victoria) が持つ分子量約27 kDaの蛍光タンパク質のことです。

 

このような生物発光は、餌の誘引、敵からの防御、仲間とのコミュニケーションなどの目的になっています。

走光性とは、ミドリムシ(ユーグレナ)属などは光を当てると光源に向かって移動する(正の走光性)性質のことで、人に限らず、生物は輝きを放つものに惹かれるようです。

 

曜変(窯変)天目茶碗は、「建盞の内無上也、世上に無き物なり」と『君台観左右帳記』で評価されていますが、世界で現存するものは4点(3点という意見もある)で、いずれも日本にあります。

ところで、西洋の中国陶磁器塊集において、暗黒時代とされる中世があけても、磁器は技術的に後進でした。

しかし、曜変(窯変)天目茶碗は偶然の産物で量産できないので遠方への輸出品には不向きでした。

そこで、元青花、景徳鎮(明)、コピー品としての伊万里というような磁器が輸出されました。

17世紀、南宋時代よりずっと後の時代で、東インド会社の役割が大きいです。

こうしたもたらされた磁器が飾られた、トルコのトプカプ宮殿にある磁器の間という部屋があります。

 

建窯は、官窯であり、偶然できた曜変(窯変)天目茶碗はいわば規格外のものです。

茶の湯と唐物に関して、日本には独特の美意識があり、書院の茶で唐物が偏重され、曜変(窯変)天目茶碗が使用されたのです。

 

静嘉堂には、南宋時代(12~13世紀)に建窯で焼かれた国宝の稲葉天目があり、淀藩主稲葉家伝来となっています。

藤田美術館には、南宋時代(12~13世紀)に建窯で焼かれた国宝の曜変天目茶碗があり、水戸徳川家伝来となっています。

京都大徳寺竜光院には、南宋時代(12~13世紀)に建窯で焼かれた国宝の曜変天目茶碗があます。

MIHO MUSEUMには、宋時代(11~12世紀)に建窯で焼かれた重要文化財の曜変天目茶碗があり、前田家伝来となっています。

 

黄金の茶室は、豊臣秀吉が造らせた平三畳の随所に黄金が施された茶室で、侘び茶の精神とは違いますが、しかし、草庵の法に従っています。

今に再現された黄金の茶室は、大衆に媚びているのか、侘び茶に問題提起しているのか分からりません。

 

結論としては、光に導かれるという走光性を備えた生物が存在するが、人も例外ではないようです。

曜変(窯変)天目茶碗の放つ妖艶な輝きに多くの茶人が魅了されてきました。

地理的・時期的な理由など以外にも、日本人の美意識で見出され、伝世された結果、現存するものは日本にある4点だけです。

更に、豊臣秀吉の黄金の茶室もあり、侘び茶にはない優美さに惹かれる人は少なからずいるようです。

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