天明釜
茶の湯で有名な天明釜(てんみょうがま)は、下野国佐野郡天明にて鎌倉時代から造られ始めた釜の総称です。
天慶の乱で平将門を鎮圧した後、天慶3年(940年)に下野国へ赴任した藤原秀郷が河内国から鋳物師を佐野に連れてきて、武具等を製作させたのが始まりとされています。
しかしながら、江戸時代には、各地の鋳物師を掌握した京都の公家である真継家により庇護されましたが、やがて衰退してしまいました。
また、天命釜とも表記されます。
天猫釜は、江戸時代後期に、湯釜などを釜底を替えして茶の湯に使えるようにしたものです。
天命が天明という地名表記になったのは、寛永10年(1633年)に武蔵国世田谷領とともに彦根藩が領有するようになってからとされています。
他方、『太平記』に「下野天明宿に打出たり」という記述もあるようです。
特徴としては、地紋のないものが多いです。
侘びた荒々しい地肌をしています。
桃山時代以前に造られたものを古天明と呼びます。
重要文化財となっている釜の9個中、1個がこの古天明です
南北朝時代の文和1年(1352年)の銘のある「極楽寺寺尾垂釜」が重要文化財となっている古天明で、現在、大阪市立美術館が所蔵しています。
古天明平蜘蛛は、松永久秀が所持していた釜としてよく知られています。
織田信長の度重なる差し出し要求にも応ぜず、信貴山城にて平蜘蛛とともに久秀は爆死したと伝えられています。
それから、京都にある方広寺の鐘は、天明の職人が鋳造したもので、現在、重要文化財になっています。
慶長19年(1614年)に造られました。
天明釜は重要文化財の数では芦屋釜に負けていますが、決して数字で品質が表されているのではないことが実物を見れば分かると思います。