三筆
日本は、書の文化がありますが、西洋や中東などのカリグラフィーの文化とは少し異なります。があります。
ペンや毛質というように筆記用具が異なるのです。
書の大家として、三筆が知られています。
三筆とは、空海、嵯峨天皇、橘逸勢のことです。
唐風に倣いつつも独自の書風を展開して、後の和風への転換期を築きました。
空海(宝亀5年(774年)-承和2年(835年))は、弘法大師とも呼ばれる真言宗の開祖です。
国宝となっている「風信帖」は、風信帖、忽披帖、忽恵帖という最澄に送った書状の総称になります。
弘仁1-3年(810-812年)に書かれたとされています。
嵯峨天皇(延暦5年(786年)-承和9年(842年))は、第52代天皇になります。
国宝となっている「光定戒牒」は、弘仁14年(823年)の作で、王羲之や欧陽詢の影響が見受けられます。
橘逸勢(延暦1年(782年)? -承和9年(842年)は、最澄や空海らと共に遣唐使として唐に渡った際に、書を柳宗元に学んでいます。
代表的な書に「伊都内親王願文」があります。
また、空海が唐から持ち帰った「三十帖策子」の中に橘逸勢の書ではないかと考えられているものがあります。
書には、実用と芸術の二面性が備わっていることが分かりました。
これからは、墨跡の見方も変わってくるかもしれません。