松永耳庵
松永安左衛門は、明治8年(1875年)に長崎県の壱岐の商家に生まれ、昭和46年(1971年)に亡くなりました。
商人の学舎と言える慶應義塾大学で学びました。
日本銀行などで勤めますが、東邦電力会社会長として活躍し、電力の鬼と呼ばれます。
茶の湯にも精通して、古美術品を集めました。
昭和4年(1929)、所沢柳瀬村に柳瀬山荘を造営し、原三渓から譲り受けた茶室「春草盧」を移築しています。
これは川村瑞賢が摂津淀川改修工事の際に建てた遺構になります。
更に、昭和 23年(1948)に柳瀬荘が東京国立博物館に「春草盧」を寄贈して、昭和34年(1959)に春草廬は東京国立博物館の庭園内の現在の位置に移されました。
しかし、茶の湯を本格的に始めたのは遅く、昭和9年(1934)、耳庵と号しました。
その由来は、『論語』で、「五十にして天命を知り、六十にして耳に従う」になります。
それから、益田鈍翁、野崎幻庵とともに、小田原三茶人に数えられます。
昭和21年(1946年)に、小田原に老欅荘を建てて移り住んでいます。
茶の湯三昧の晩年を過ごしました。
命日の6月16日に耳庵忌茶会が小田原の松永記念館で開催されているそうです。
事前に申し込む必要があるようですが、機会があれば行かれるのもよいでしょう。