水戸徳川家御庭焼 後楽園焼

お庭焼とは、江戸時代の大名などが城内や邸内で、窯を築いて陶工に焼かせた焼き物のことです。

 

後楽園焼は、宝暦年間(1751-1764年)に、水戸藩の江戸屋敷にある後楽園で、楽家7代長入を招いて始まったと言われる水戸藩のお庭焼です。
江戸後楽園焼とも呼ばれます。
6代から9代藩主の頃が最盛期でした。

 

楽家が関与していることから、当初は楽焼が焼かれましたが、やがて、天保年間(1830-1844年)になると、紀州徳川家の偕楽園焼に倣い、交趾焼も焼かれるようになりました。

 

8代藩主徳川斉修(なりなが)(寛政9年(1797年)- 文政12 年(1829年))の作品には、自身の号である「鼎山」の印が押されています。

 

9代藩主徳川斉昭(寛政12年(1800年)- 万延1年(1860年))の作品にも、自身の号である「景山」の印が押されています。
性格が出ているのか、伝統的な作風にとらわれないものを作りました。
また、『景山陶製秘録』という陶土や釉薬に関する著作を残しています。

 

後楽園の印には、一重丸印「後楽」、それから、一重または二重丸印「後楽園製」が知られています。

 

幕末の動乱で活躍した斉昭は、作陶で気を紛らわせていたのかもしれません。
皆様も、一心不乱に作陶をしてみてはいかがでしょうか。

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