楽家

楽吉左衛門は、楽焼という茶の湯の最高峰の茶碗を焼く陶工で、千家十職の一人です。

 

楽焼は、長次郎が千利休の求めに応じて、楽茶碗を焼いたのが始まりです。
適度な熱の伝わりやすさ、手になじむ大きさと重さ、など、茶の湯のために造られた茶碗です。
以下のように代々続いています。

 

初代、長次郎(?-天正17(1589年))
二代、常慶(永禄4(1561年)-寛永12(1635年))
三代、道入(慶長4(1599年)-明暦2(1656年))
四代、一入(寛永17(1640年)-元禄9(1696年))
五代、宗入(寛文4(1664年)-享保元(1716年))
六代、左入(貞享2(1685年)-元文4(1739年))
七代、長入(正徳4(1714年)-明和7(1770年))
八代、得入(延享2(1745年)-安永3(1774年))
九代、了入(宝暦6(1756年)-天保5(1834年))
十代、旦入(寛政7(1795年)-嘉永7(1854年))
十一代、慶入(文化14(1817年)-明治35年(1902年))
十二代、弘入(安政4(1857年)-昭和7年(1932年))
十三代、惺入(明治20年(1887年) – 昭和19年(1944年))
十四代、覚入(大正7年(1918年) – 昭和55年(1980年))
十五代、吉左衛門(昭和24年(1949年)-)

 

高台土見せよりも、総釉の方が、手間が掛かるので、茶碗の順位付けが自ずと定まります。

 

黒楽>赤楽
総釉・印高台内>総釉・印高台脇>高台土見せ・印高台内>高台土見せ・印高台脇

 

明治維新の茶の湯衰退期には、茶碗が一つも売れない月があったような、厳しい時期もありましたが、やはり、楽茶碗を一つは持っておきたいものです。

楽茶碗 (茶道具の世界)

 

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