待庵 庵号解読

妙喜庵の待庵は、千利休が造った二畳隅炉の草庵茶室で、現在、国宝に指定されています。

 

京都の大山崎にある妙喜庵は、明応年間(1492-1501年)の創建された寺で、連歌師の山崎宗鑑が隠棲したところと言われています。

 

豊臣秀吉と明智光秀の戦った天王山の合戦が妙喜庵三世功叔和尚のときにあり、秀吉は利休に陣中に二畳の茶室を造らせ、功叔和尚は利休とともに、秀吉に茶を献じました。
その後、この茶室は解体され、妙喜庵に移築されたと言われています。

 

待庵は、利休作の現存唯一の茶室で、天正10年(1582年)頃の建築要素を備えています。
利休の創始した室床は、土壁で壁三方と天井を塗り回したもので、奥行きを感じさせる工夫となっています。
また、天井も床前と点前座が平天状ですが、その他は化粧屋根裏天井(駆け込み天井)であるため、上部に空間的広がりを感じさせます。
躙り口は、通常よりもやや大きくなっています。

 

二畳隅炉という狭さですが、利休はこの狭さにより、客と亭主の距離は物理的のみならず、精神的にも縮まると考えたのでした。

 

待庵の庵号の謂われはよく分かりませんが、山本兼一の著した『利休にたずねよ』には、
「庵号は、おつけになりましたの」
「待庵だ」
「たい、あん・・・」
「待つ庵だ」
宗恩がうなずいた。
「・・・この席で、なにを待ちましょうか」
「上様にこころ閑かに、たいせつな時を待って
いただける茶の席をこしらえたつもりだ。」
とあります。

 

皆様も、待庵の庵号解読にご協力ください。

利休にたずねよ (PHP文芸文庫)

 

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