紀州徳川家の御庭焼 清寧軒焼

御庭焼とは、江戸時代に、藩主などが城内や邸内で、窯を築いて陶工に焼かせた焼き物のことだということは宜しいでしょうか。

 

偕楽園焼は、紀州藩第11代藩主の徳川斉順が、別邸湊御殿の清寧軒で焼かせたものです。
これは、養父の第10代藩主の徳川治宝の偕楽園焼に倣ったものです。

 

天保(1830-44)初期から弘化(1844-8)の初め頃までの12-13年間が、制作期間とされています。

 

楽家10代の旦入、楽家11代の慶入、表千家10代吸江斎らが参加しています。
慶入の関与は目立ったものではないようですが、箱書に惣吉造とあるものがあるので、慶入も参加したようです。
清寧軒焼の印は、数種類の印が用いられており、系統立てて制作された年時を特定することは難しいようです。

 

「清寧」(陰文重郭円印)、「清寧」(陰文重郭瓢印)、葵紋形印などが作品に押されているのが、確認されています。

 

但し、「清寧」の瓢印(陰文重郭瓢印)は、たいてい旦入の印と一緒に押されており、この瓢印は一種類しかないようです。
偕楽園焼は楽焼以外の交趾なども焼かれましたが、清寧軒焼は基本的に楽焼でした。

 

それにしても、名工に茶碗を焼かせて、それで茶の湯を楽しむということは、本当に優雅なことです。

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