紀州徳川家の御庭焼 偕楽園焼

御庭焼とは、江戸時代に、藩主などが城内や邸内で、窯を築いて陶工に焼かせた焼き物のことです。

 

紀州徳川家の偕楽園焼、尾張徳川家の御深井(おふけ)焼、備前池田藩の後楽園焼などが有名です。

 

楽家10代の旦入は、紀州徳川家の御庭焼に何度も携わっています。

 

偕楽園焼は、紀州藩第10代藩主の徳川治宝が、別邸西浜御殿の偕楽園で焼かせたものです。

 

第1回目の御庭焼が、文政2年(1819年)に行われ、楽家10代の旦入と表千家9代了々斎が参加しており、その功績により、文政9年(1826)5月、旦入は治宝自筆の隷書体の「楽」の書を拝領し、これをもとに、拝領印や隷書印と呼ばれる印を作り、その年の12月にはその印を初めて使い、そのときの茶碗と箱書きが残されています。

 

第2回目の御庭焼は、文政10年(1827年)に行われ、楽家10代旦入、永楽家10代了全、永楽家11代保全、仁阿弥道八、表千家10代吸江斎らが参加しており、その功績により、同年、保全は、「河濱支流」の金印と「永樂」の銀印を拝領しました。
これより、永樂を名乗るようになりました。

 

第3回目は天保2年(1831年)、第4回目は天保6年(1835年)、第5回目は天保7年(1836年)、第6回目は天保14年(1842年)に行われたようですが、不明な部分も多いようです。

 

偕楽園焼は陶工以外の作品も多く、陶工を招いて焼かせている藩主たちの楽しんでいる様が目に浮かぶようです。

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