市中の山居

市中の山居とは、戦国時代に京や堺などの裕福な町衆の作った草庵を比喩的に呼び慣わしたもので、文字通り町中にいながらあたかも山の中に居るような心持ちを抱かせる場所のことです。
当時は、室町幕府という権力が失墜して、下克上、戦国大名の群雄割拠、一揆などという非常に混沌とした状況でした。
そのような世相の中で、町衆は市中の山居において茶の湯などに興じて安らぎを得ていたのです。

 

現在の世相も当時とある意味では似ているところがあります。
敗戦による無からの復興を遂げ、高度経済成長で経済大国になった日本は、いわゆるバブル景気崩壊で成長経済に終止符を打ち、欧米のような成熟経済に移行しました。

 

その結果、今更説明するまでもなく、現在は混沌とした状況にあります。
このような世相の中で、盛美庵が市中の山居として機能してくれれば嬉しく思います。

 

戦国時代の三献茶のエピソードは有名です。
羽柴秀吉が鷹狩りの帰りに立ち寄った寺でお茶を所望したところ、一杯目は渇いた喉を潤すために大きな茶碗に七八分入ったぬるいお茶が出てきました。
次に、二杯目は少し熱くて茶碗半分程のお茶が出てきて、そして、三杯目は小さな茶碗に入った熱いお茶が出てきました。
このとき、給仕したのが石田三成で、秀吉はその気配りに感心して家来として召し抱えたという話が『砕玉話』に載っています。
茶事や茶会でも遠方から来たお客に対して、寄り付きや待合いで白湯、昆布茶、香煎、桜湯などを出して喉を潤して戴きます。

 

三成の気配りを見習いたいものです。

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