歴史法則に基づく現象論的な考察

「一期一会」は、『山上宗二記』の中の「一期に一度の会」に因っていますが、これは、史学的な考察を茶の湯にすることの出来ることを示唆する言葉ではないでしょうか。
つまり、茶事や茶会を歴史として扱うということです。

 

茶室という四次元時空間は、x, y, z; 空間(ユークリッド空間の三次元、物体の存在し、現象の起こる場所)、t; 時間(一次元、一方向・不可逆、出来事の継起する形式、過去・現在・未来の三様態)、というパラメータからなります。

 

さて、科学は、物理、化学などの自然科学、法学、政治学などの社会科学、史学などの人文科学に3つに分類されますが、史学は単なる叙述学と見なされ、科学としての地位を得るのは遅かったのです。

 

そして、歴史は、歴史出来事と歴史叙述から構成されますが、この歴史叙述は歴史哲学の影響を非常に受けるものです。
更に、歴史哲学には、基督教史観、唯物史観、皇国史観などがあります。

 

やがて、歴史法則により、史学が、人文科学という範疇の科学に分類されるようになりました。
14世紀のイブン・ハルドゥーンは、歴史とは個別的な出来事の中から一般的なものを抽出するという経験的な作業であることを示したのです。

 

つまり、過去や現在から未来を予測する、ということで、歴史法則の方程式f(c, t)(パラメータc; 初期条件、t; 時間)により、任意に設定した初期条件を代入することで、歴史的な結果が得られるわけです。

 

茶の湯と歴史法則はどうなるかというと、茶の湯で歴史哲学に相当するものとして、陰陽五行説、禅宗、道教、儒教、書院、侘び、さび、きれいさび、大名茶、流派など、が挙げられます。
c; 初期条件として、茶室の有り様、道具立て、位置の決定、順序、季節、趣向、客、時刻など、が想定されます。

 

道具やその位置の決定などは、試行錯誤の結果、洗練・最適化されたものとみなすことが出来ます。
それは、f(c, t)の最適化で或る程度の結果がほぼ常に得られ、それを導くものが「型」という必然となったことを意味します。
しかし、趣向や道具立てなどに、必然に対する偶然という自由な側面があります。

 

茶の湯と数の関係において、対称性などは幾何という数学ですが、茶の湯での数学は、哲学または結果の後付的説明かもしれません。
カネワリ(曲尺割)などは、宇宙観である陰陽五行説という哲学的なものに基づき、美学的であります。
ところが、カネ外しという例外があり、これでは普遍性の求められる数学ではありません。

 

結論としては、茶の湯は、初期条件の設定により結果が予想されるという歴史法則の支配する要素が大きいが、型としての必然と、意志としての自由という相反する側面があります。故に、「一期一会」と言われるように、茶事や茶会は、亭主の趣向や道具立てなどの自由に設定の出来る初期条件によって、過去の会記などにあるような、そして、客の心に残るような、個々の異なる歴史という存在となるのです。

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歴史法則に基づく現象論的な考察” に対して1件のコメントがあります。

  1. AlAhly より:

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