又隠の庵号解読

又隠(ゆういん)は、今日庵とともに、裏千家を代表する四畳半の草庵茶室です。

 

千家三代宗旦は、正保3年(1646年)に不審庵を三男の江岑宗左に譲り、
隠居所として、慶安1年(1648年)に北隣に今日庵を作りましたが、
宗旦は今日庵でも千家や茶の湯の実務に従事していました。
しかし、承応2年(1653年)に四男の仙叟宗室に今日庵を譲り、隠居所として、又隠という庵号の茶室を建てました。

 

文字通り、又隠とは、また隠居する、ということです。

 

千利休は聚楽屋敷などに設けた四畳半茶室で侘び茶を体系化させましたが、この又隠はその利休の四畳半茶室の様式を踏襲しています。
それどころか、点前座の入隅に楊枝柱を新たに導入するなど更に佗びを推し進めています。

 

躙口の正面に床が設けられ、天井は躙口側半間を化粧屋根裏天井、その他は網代の平天井としています。
江戸時代以降、全国各地に又隠写しの四畳半茶室が造られたようです。
そして、現在でも作られているのです。
人の動線などを考慮すると、四畳半茶室が基本になると考えられます。

 

宗旦は、息子たちの仕官先を探したり、利休の佗茶の継承に従事したり、となかなか休む暇もなく、二度も隠居することになったのです。

 

いつの世も、親は子供たちや家業のことで奔走する宿命のようです。

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